篠山城の縄張りは築城名手の藤堂高虎で豊臣氏を包囲する城の一つ。築城後には大坂冬の陣や大坂夏の陣でも城主・松平康重が篠山城から大坂城攻撃に出陣し大活躍する。家康狙い通りの役割を果たしますが、山陰道を睨む要衝の篠山城は堅牢過ぎると天守閣は恐れて建てられず平山城となるも、今では日本遺産認定の日本百名城のひとつです。
二の丸御殿庭園と井戸

本丸(現在・二の丸)の構成は、大書院と小書院、中奥御殿と奥御殿、台所などの建物と築山をもつ庭園があります。儀式、執務を行う場と城主の生活空間の場で篠山城で最も中心的な場所です。本丸にある井戸は岩盤を掘り抜いたもので、深さ約16mと岩盤を掘るのに2年も費やしたようです。
大書院は現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿に匹敵する建物で、大名・武家住宅としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものでした。廃城令によって日本各地の城が破却される中、大書院は残りました。ただ残念ながら昭和19年1月に焼失しましたが、 後の平成12年4月に大書院は再建されて現在に至っています。
石垣に囲まれた御殿跡庭園と大書院

徳川家康の命により西国諸大名が動員されて築かれた篠山城大書院は、天守のない篠山城の中核をなす建物でした。 築城工期は1年たらずの突貫工事でしたが、笹山(篠山)は全体が岩盤で出来ており難工事だったようです。
堀は内堀と外堀二重に廻らし、外堀の三方に出入口として馬出しを設けて防御に徹した城構えとなっています。天守閣は、家康の反対と急いだ工期で実戦向きの城に築かれてませんが、二の丸に築かれた大書院が今では、城跡のシンボルとなっています。
石垣だけの天主台

篠山城は築城当初より石垣の天守台はありましたが、天守閣は築かれませんでした。
石垣や堀をはじめとする城の造りが堅牢過ぎると幕府が心配したそうです。江戸幕府の指示により天主閣を中止し、代わりに南東隅に4m四方に単層の隅櫓を配置し、東面と南面に土塀が作られました。
築城当初は二の丸が本丸でしたが現在は南東の隅に、天守台が造られたことから殿守丸と呼ばれていました。天守台の石垣は本丸内側からの高さ、約4m、外側の南と東側犬走りからの高さが約17mで、篠山城で最も高い石垣になります。
篠山城大手口の鉄門

表門から二重桝形・中門を抜けると鉄門(kuroganemon)に、呼び名通り門扉に鉄板が張られた、二の丸へ至る最後の門跡で関門にふさわしい厳重な造りです。現在は模擬冠木門、往時は絵図によれば櫓門が設けられていたようです。普請総奉行の池田輝政が中心に、縄張りには築城の名手の藤堂高虎が手掛け、石垣造営には穴太衆が携わったようです。
鉄門に入ると木造復元された二ノ丸大書院見えます。正面の唐破風のついた玄関、瓦葺の建物は大広間で、史料館となっています。調査で分かったことは門跡の敷石と階段跡などの遺構が江戸時代の姿で発見されて、鉄門は幅が約5m、奥行約4.5mの広さでした。東側の石垣高さが約4m、西側の石垣高さ4.5mとの間に造られました。
北廊下門跡に咲く桜

三ノ丸から二ノ丸へ内堀を渡る、かつては廊下橋だった土橋の前に「史蹟 篠山城跡」石碑が建っていますのでご参考ください。二ノ丸への土橋上から、内堀を西側を見ると二ノ丸石垣の周囲には犬走りも残ります。
桜の名所でもあってカメラスポットです。ここは二ノ丸の大手口にあたる「鉄御門虎口」跡に向かう玄関先になります。大手口から鉄門虎口までの順路は折れ曲がり、石垣の左側と右側とが異なる雰囲気が??往年の門や塀は残されていませんが、石垣だけでもこれだけの堅固さで城の風格が伝わって来るようです。
二の丸屏風折の石垣と犬走の景観

見事な石垣と内堀、犬走りに囲まれた城跡、大書院が見えます。内堀と外堀および馬出、二ノ丸内は石垣が残っています。外堀の周囲に3つ造られた馬出は東と南の2つが堀とともに現存しています。4月上旬は”さくらまつり”が催されて観光客で賑わい、篠山城跡一帯が桜で彩どられます。
中世山城の八上城(戦国大名 波多野氏)に代わる拠点で丘陵・笹山に築城された篠山城は、幕府の命で20諸侯に分担させた「天下普請」の1つ、縄張りが伊賀上野城主・藤堂高虎、奉行に姫路城主の池田輝政とそうそうたるメンバーで気合の??こもったお城です。
南門・埋門跡

段差を利用した埋門跡(uzumimon ato)、二の丸南側の門です。この付近の石垣には城内で最も多くの符号・刻印が見られます。
篠山城跡二の丸から南側にある埋門をくぐり下ると、三の丸へ通り抜けます。二の丸南側の埋門から下り、三の丸を通って五万石の城下町として栄えた河原町妻入商家群方面へ向かいます。
城下町・河原妻入商家群の入口

篠山城築城の際に造られた古い町並みで、江戸時代の佇まいを偲べます。かつては篠山の商業の中心で、約600mにわたり「妻入」という建築様式の商家が軒を連ねています。
5mから8mほどの狭い間口、奥行きは大半が40m以上と深く、表構えは、かつては大戸と千本格子や荒格子または蔀(しとみ)で構成されていたようです。中二階の窓は出格子と太い格子をしっくいで塗り込めたむしこ窓であり、さらに袖壁、うだつも見ることができます。街歩きは当時にタイムスリップした感覚、妄想の散策が楽しめます。
河原妻入商家群①

河原町を歩くと間口の狭い奥行きの深い造りをした妻入りの商家が建ち並び、歴史深さを感じられます。約600mにわたり、藩政時代の面影を残す家並みが続き、土産物屋もあって買い物をしながら、写真も撮りながらの散策を楽しめると思います。
白い壁と面白い鬼瓦が特徴の瓦屋根の商家が五百メートル以上にわたって街道に立ち並んでいます。大小の商家が街道の両側に立ち並び、商家の前の所々にはデカンショ節の唄が描かれた灯篭が立っているのも、町の良いアクセントになっていると感じました。
河原妻入商家群②

この篠山の地はまわりが山々に囲まれた盆地であって、往古より京都や山陰、山陽を結ぶ交通の要衝でした。その場所に徳川家康の命で1609年に篠山城が築城され、翌年から城下町が整備されていきます。河原町に商屋が建ち始めたのはその少しあと、1612年頃だと言われてるようです。その後多くの商屋が軒を連ねる一大商業地として栄えたようです。
アクセス…城跡近くの大正ロマン館

JR篠山口駅から神姫バスを利用、所要15分程で城北口停留所で降車します。バス停留所から徒歩5分ほどでレトロな建物の大正ロマン館があって、お土産や軽食があります。大正ロマン館からも見えますが、篠山城跡の大手口には二~三分で歩けます。
お洒落な観光案内所

大正ロマン館の道路を隔てて対面にあるのが、レトロ風でお洒落な建物の篠山観光案内所です。先ずは、ここに入って現地調査、時間に合わせて観光ルートを検討されたら良いと思います。篠山城跡の城内マップや城下町マップも無料でもらえます。