修験道・経塚と龍伝説残る奥河内!

ぶらりと出た旅先で時々、おもしろい里伝説に出会います。大阪奥河内の三方山に囲まれた山深い麓に古刹岩湧寺がひっそり佇みます。熊野から吉野まで険しい大峰奥駈修行が有名ですが、大阪・和歌山県境に連なる和泉山脈から奈良・大阪県境の金剛山脈連なる峰々に「葛城二十八宿経塚」があります。修験道聖地の岩湧山は元山上(山上ヶ岳)と呼ばれて、山深い岩湧の森の山斜面に沿う洞窟に龍が閉じ込められた伝説が残ります。

龍伝説とは

岩湧寺参道に立つ標識 臥龍洞

岩の涌き出ることから名づけられた涌出山・岩湧寺は、岩湧山裾野に佇む山深い古刹です。境内に佇む三門二層の多宝塔辺り急山斜面に洞窟があります。昔々この洞窟に住む龍が村の田畑を荒らし、困り果てた村人が岩湧寺の僧侶に頼み法力をもって龍を退散させた伝説が残っています。

龍を閉じ込めた洞窟

臥龍洞は巨岩に挟まれた洞窟

山深い辺は中世時代に大峯奥駆と並んで栄えた葛城二十八宿がある、葛城修験の道場あった地域です。龍を退治した僧侶は修験道の開祖・役小角とも伝えられ、雨乞いの神様として信仰される龍神さまと結びついた伝説とも伝えられます。岩湧寺から下ってある滝畑には、むかし湖があって龍(龍神)が住んでいたようです。

水不足に苦しむ河内と和泉の村人が湖水を取り合ったため、河内の神と和泉の神が競争し滝畑に先着した方に水を流すことになり、結果は河内の竜神が勝ちました。龍は約束通り水を河内に流したという竜神伝説も残ります。

祀られる修験道の第十五経塚

岩湧寺から滝畑に向かう峠付近にある第十五経塚の石塔は、七大龍王と金剛童子が刻まれています。石積みや五輪塔、祠など多様な経塚は山尾根から麓の郷まで行場が広がります。役行者が法華経二十八品を一品ずつ埋納した経塚は、葛城修験の修行道「葛城二十八宿」と呼ばれ和泉山脈・金剛山地にまたがります。

絶壁の岩肌沿いに社

白成大神祀る巨岩に囲まれた神域

鬱蒼とした森深い谷間にある滝は、水量少なく滴る程度に山肌に流れています。ロッククライミングができるような垂直に立ちあがる岩壁に思わず唖然、人の気配も無く岩窟に囲まれ森閑としたスピリチュアルな雰囲気が漂います。

岩壁を背に神秘的な社が佇み、白成大神を祭るお稲荷さん守るようにコンコン様がおわします。山肌に僅かながら流れる千手滝と不動滝は、その昔に龍の力が封印されたのか勢いがありません。

絶壁に祀られる行者堂

岩湧寺境内から登る兼松新道は途中に水飲み場があり、尾根頂きの五ノ辻と合流しから尾根伝いに岩湧山頂へと通じています。 境内から山裾の急坂木階段を上がった所に、左側の岩場を入ると行者堂が祀られています。

祠中に飯縄権現像と役小角像が安置される行者堂の周りは、垂直に落ちる崖で大変危険です。白成大神を祀る岩峰の上に祀る行者堂の岩崖下には行者滝が落下しています。 一人で立ち入らないようにしましょう。

岩湧の森とは

岩湧寺境内に咲く秋海棠

文武天皇の勅願寺で大宝年間に修験道の開祖・役小角が開基した山腹岩湧の森にある岩湧寺は、多宝塔の本尊・大日如来が平安末期の作で重要文化財に指定されています。古くは天台宗寺院でしたが、明治に入り融通念仏宗に転じ河内長野市古野の極楽寺の末寺です。9月中旬には境内いたる所が秋海棠の花で覆われて、この時期の岩湧の森は秋海棠の花が咲く壮観な森の園になって多くのハイカーが訪れます。

岩湧寺境内の雨乞い地蔵菩薩

岩湧寺境内から行者の滝を過ぎ渓谷沿い道を下り降りると雨乞い地蔵があります。雨乞い地蔵菩薩の岩湧山から湧き出る岩清水は、言伝えでは日照りで村人が飲み水に困り雨乞いした時に天狗が現れ錫杖で一突きでこんこんと水が湧き出たとの伝説があります。長寿水と伝わるこの湧水は南海高野線・天見駅前にある店等で料理にも利用されていると聞かれます。

臥龍洞へのアクセス

レンタル自転車での行き方

最寄りは南海高野線・近鉄長野線の河内長野駅で下車します。臥龍洞は岩湧の森・境内近くで、岩湧寺がある山深い岩湧の森まではバス便も少なく、バス停留場(神納)からも歩くのに距離があるのでレンタル自転車が便利です。

駅前バスロータリーの7番バス停留場の前にある観光案内所でレンタル電動自転車を利用し、駅前案内所から岩湧の森まで20kmほどを電動自転車で約90分を目安に走ります。

奥河内に残る鬼伝説を追う!

ぶらりと出た旅先で時々、おもしろい里伝説に出会います。和歌山・奈良県境で大阪奥河内の山裾に南北朝時代の所縁ある天野金剛寺があります。河内長野は当時の天皇・上皇の行宮地あった地域で重要文化財も多い観光名所で、高野山に向かう巡礼の高野街道など中世ロマンの妄想散策が楽しめます。後村上天皇・楠木正成の所縁ある観心寺近くの神ガ丘地域は、古刹延命寺がひっそり佇む鬼住村に鬼夫婦の伝説が残ります。

鬼住村の鬼伝説とは

古文書に残る鬼住村って何?

鬼伝説は長野公園の5エリア内一つ、奥河内の神ガ丘にある延命寺地区に伝わります。楠木正成で有名な観心寺の古文書にも残される鬼住村伝説の時代背景は鎌倉時代末期ごろと思われます。泉州血濡(チヌ)山に大きな男鬼と河洲鬼住村の女鬼が村人に悪さをするため、村人が領主に頼み鬼退治の募集しました。勇気のある若者が挑み、達者な弓矢を使って果敢に戦って鬼退治を果たしました。

鬼の嫌う桃ノ木や鬼のタライ・鬼のフチ、鬼の塚が有って昔は名残りが有ったようで、鬼の塚で毎年1月6日に鬼退治の古式に従った弓射る行事もありましたが近年になって廃止されました。

鬼の痕跡残る石見川

鬼夫婦の遊び場だった鬼住橋

薬樹山 延命寺に向かう参拝道は、昔々鬼夫婦の棲む石見川が沿った山里路でした。近年に地名の鬼のイメージを嫌って鬼から神に変えられて神ガ丘になりました。

山里の地名は変わったものの石見川にかかる苔むした鬼住橋に、鬼夫婦が戯れていた面妖な鬼の盥が有って鬼の生活痕跡が今も漂い不気味に感じます。

鬼夫婦戯れていた鬼のたらい

石見川の清流には鬼のたらい(盥)場が有って、たらいの由縁が不詳ですが鬼夫婦が戯れていたそうです。川沿いには鬼の洞穴跡や炭酸ガスが湧く川底があり、時々炭酸ガスの泡がボコッボコと浮きます。

くぼ地に比重の重い炭酸ガスが溜まり、無酸素状態になった所に虫が死に落ち溜まります。虫を食べに入った鳥も窒息死することで鳥地獄と呼ばる辺りは、不気味で鬼棲む雰囲気があります。

鬼伝説が残る延命寺

雰囲気漂う薬樹山 延命寺

弘法大師ゆかりの古刹は紅葉名所としても有名で、伝説の鬼退治で村人が使った桃の木で作られた弓が寺宝に保存されています。鬼退治の褒美に上田の姓を賜った村人の子孫一人は後に、高僧・浄厳和尚となり延命寺の中興の祖として名前が残ります。

境内には浄厳和尚や楠公八臣一人の和田正遠、天誅組ゆかりのお墓があって古の歴史を偲べます。

魔除けにも感じる鬼封じの鳥居

境内の参拝道沿いには様々な表情の石仏が並び参拝者を出迎えて見守ります。参道沿いに一際美しい樹齢1000年とも言われる幹回り5mもあって、根元で幹が2つに分かれる「夕照の楓」は近年枝枯れ目立ち元気がありません。

境内蓮池の前に邪気を払うように構える鳥居は、鬼を封じるかのように鬼門方角に立っています。

鬼伝説へのアクセス

電車での行き方

最寄り駅は南海高野線三日市駅で、駅から徒歩で鬼住橋に向かいます。約40分ほどの田園風景が楽しめる散策路は、住宅地を抜けると普段は人の少ない静かな石見川沿いに着きます。たまに観光者や延命寺の参拝者と出会うこともありますが、日暮れになると周りは薄暗くひっそりと不気味です。

名泉湯原のハンザキ伝説を追う!

ぶらりと出た旅先で時々、おもしろい里伝説に出会います。JR中国勝山駅から路線バスで約30分ほどの山間の川沿いにある温泉郷は、そこで恐ろしくモノ悲しいハンザキ伝説がありました。山裾に広がる静かな温泉郷は浴衣姿で歩くカップルが似合う温泉街ですが、その昔には川沿いを歩く村人や馬・牛を飲みこみ食ってしまう恐ろしいバケモノが棲む伝説が残る山里でした。

ハンザキとは何?

温泉郷に伝わるハンザキ伝説

昔々文禄時代、村の龍頭ヶ淵に大きさ10mの胴周り5mもある巨大ハンザキが主として棲みついていました。近くを通る人や馬を長い尾っぽで捲き込んでは呑込み食ってしまいました。村人は恐れ慄いて暮らしていましたが、村に住む若者の三井彦四郎が村人のためにこのバケモノを退治しようと決意。短刀を口にくわえて淵に飛込み、しばらくして淵の水が真っ赤に染まり、巨大ハンザキが浮かんできました。

祟り恐れてハンザキ祀る

切り裂かれたハンザキの腹から彦四郎が出て来て、村人は喜び彦四郎の無事を称えました。その後に彦四郎の家では夜に家の戸を叩き号泣するハンザキが現れて、ついには彦四郎一家が皆亡くなりました。

村祭りの主役になったハンザキ

毎年8月8日に温泉郷で開催されるハンザキ祭りは、殺された巨大なハンザキを祀る村に伝わる祭りです。ねぶたになって祀られるハンザキが主役となって、数匹の巨大ハンザキが温泉街をのたうち回るねぶた祭りです。

温泉郷に伝わるハンザキは体を半分に切り裂いても生きてる、生命力が強く根性ある生物です。口開くと顔が半分に裂けたように見えるのが名前の由来で、正体は全長10mもある巨大な山椒魚です。

ハンザキと楽しむ川原の足湯

湯原大橋渡った「ゆばら湯っ足り広場」に二匹のハンザキに囲まれた、旭川沿いに天然温泉の足湯があります。温泉郷の遊歩道を楽しむ観光客が散策途中に、手軽に足湯に浸れてゆったりホッとする人気スポットです。

他にも足湯は温泉街の旭川沿いに三ヶ所有って、温泉街の散策途中で歩き疲れたらひと休みに気持ち良く癒せます。ただし足湯では泳がないようにご注意ください。

ハンザキが棲む温泉郷

湯原温泉街の散策マップ

温泉郷マップは旭川沿いに約2000mほどのメイン通り湯原温泉街で、ゆっくり歩いても30分ほどの遊歩道が案内されています。旅館街過ぎると川沿い散策路にマス釣りで竿持つ人も見受けられ、四季折々に天然マス釣りも楽しめそうです。

たまに川で回遊するハンザキの姿も見受けられるようですが、ハンザキに川に引きずり込まれないように要注意です。

湯原温泉郷のメイン通り

旅館・ホテルが数件連なる湯原温泉街のメイン通りは、旭川に沿ってのんびり歩ける遊歩道でレトロ風の静かな温泉郷です。温泉街の散策路沿いには観光情報を教えてもらえる温泉ミュージアムや、カップルで仲良く参拝できる趣きがある温泉薬師堂が有って楽しめます。

温泉街から湯原ダムまでの旭川にかかる二つの橋に男女ロマン話の言われがある「寄りそい橋」と、「鼓橋」の由緒は橋傍に案内標識が立っています。

ハンザキ生息スポット

ハンザキの回遊する旭川

湯原ダム下流の旭川沿いに広がる自然タップリの温泉街は、良質なアルカリ性で泉質が肌ざわりがなめらかな人気の温泉郷です。人気スポットの「砂湯」は川底から湧き出る温泉で、全国の露天風呂番付「西の横綱」と評判の人気混浴風呂です。

24時間無料の開放された天然かけ流し露天風呂「砂湯」は、無粋な前は隠して老若男女がスッポンポンで仲良く露天入浴堪能できる川沿いの天然温泉が楽しめます。

ハンザキ大明神祀られる祠

巨大ハンザキを退治した三井彦四郎は、旧湯本小学校の側に祀られたお墓で眠っています。巨大ハンザキの怨念を恐れた村人は、ハンザキ大明神の祠を創建し祀り祟りは鎮まったようです。

ハンザキ大明神の祠は旭川沿いの「はんざきセンター」施設の側にあって、はんざきセンターに飼育されるハンザキ仲間を見守っているようにひっそりと佇んでいます。

ハンザキへのアクセス

中国勝山駅から路線バスの行き方

ハンザキ棲む温泉郷のアクセスは、中鉄美作バス(蒜山・久世ルート)を利用します。最寄り駅の「JR中国勝山駅」で下車し、駅前にある中国勝山バス停留所から所要30分ほどの「湯原温泉バス停留場」で降車します。JR中国勝山駅にはソバ屋の横に観光案内が隣接して、昼食と観光情報も聞けるので便利です。